リスボンに憧れながら世界の片隅で砂を掴む

本、ポルトガル語学習、海外移住よもやま話。(※在住国はポルトガルではありません。)

働きたくない、という熱い想い。

ぼくは働く才能を持たないんだ。

『クヌルプ』(ヘルマン・ヘッセ高橋健二、新潮社)

 

「海外で働きながら生活している。」などと書くと、とても意識高い人のように感じられるかもしれない。

海外で働く」……この5文字だけで、タピオカのSNS映えなど一撃で打ち倒す程のキラキラ感を醸し出している。

確かに、シリコンバレーでエンジニアやってます。」「深センで起業しました。」「パリのハイパーメディアクリエーターでございます。」という人々はキラキラを超えてギラギラしている。何か凄そうだし活躍していそうな雰囲気である。

 

だが、「海外で働いている」人たちの中にも、意識が低い「働きたくない族」は必ず存在する。

私である。

初めから意識が低かった訳ではない。海外渡航を志すきっかけも、今は無き海外ニート氏のブログであった。

だが、気づいてしまったのだ、自分が「働きに向いていない。」という事に!!

 

働きたくない、という気持ちは人一倍強い自信がある。

しかも、労働にも向いていない。

にも関わらず働いているのは、遊ぶ金欲しさの為である。

ちなみに現在の勤め先は、新庄剛志の歯よりも白いホワイト企業であるが、それでも労働は労働、嫌なものは嫌なのである。

(ついでに書くと配偶者氏も「働きたくない族」であり、常々「宝くじが当たったら仕事はやめる。」と言っているが、配偶者氏は何だかんだ言って有能なので、私よりはマシである。)

 

日本では「仕事を通じて成長」などという戯言が流布しているが(誰が言い出したのか知らないがそんな文句が書かれている紙は燃やしてしまうが良い)、私が仕事を通じて得たものランキング第一位は「金」、第二位は「病気」である。第三位辺りになってようやく「国際的な経験」が入ってくるが、別に仕事を通さなくても国際的な経験は可能である。

(尚、国内で働いていた際には「国際的経験」すら得られず、ゴミのような職歴を積み重ねただけだったので、「金」と「病気」以外何も得ていない。)

故に、「働いていないと成長が止まる族」「働きによって自分磨き族」「仕事が生きがい族」とは、気が合わない。私も「何言ってんだこいつ。」と思うし、彼らも私に対して同じように思うだろう。vise versaである。距離を置いて付き合わないが吉。

 

大体、頭が仕事の事でいっぱいな状態よりも、頭空っぽの方が夢(リスボン)を詰め込める。仕事の悪夢に魘されて夜中に飛び起きるよりも、ペソアの紡いだ白昼夢をふらふら追った方が圧倒的に健康に良い。私は何度か自己都合の無職を経験しているが、心身ともに非常に健やかな状態で、語学学習や読書が捗り、大変幸福であった。

 

ただ、男性が無職の状態でいると、世の中の空気はその心身を切り裂くように冷たいのだろう。女性が無職でいてもアレコレ雑音が耳に入る。「ごちゃごちゃ干渉しないでくれ、お前は何様だ、殿様か?」と思っても、各々が作り出した「理想の社会人像」からはみ出した人間を見ると、ああだこうだ文句を言う人は存在し続けるのである。

 

そんな中、堂々とニートとして生活している人がいた。

『「山奥ニート」やってます。』(石井あらた、光文社)という本に、山奥で集団ニート生活をする事になった流れが書かれている。

こんな風に生きている人もいるのだ。

ニートと言いながらも結局のところ多少は自力で生活費を稼がねばならず、「ニートに徹するのも難しいものだな。」と思ったが、ぎゅうぎゅうの満員電車に詰め込まれて死ぬ程働かなければならない訳ではないし、他人(主に上司)を骨の髄まで呪うという事もないし、のびのび生活しているようだ。楽しそうで少し羨ましい。

 

難しい時代だからこそ、様々な生活スタイルの人が排除も攻撃もされず、穏やかに生きられる工夫が為されれば良いのだが、と思う。 

世界中の「働きたくない族」に、幸あれ。