リスボンに憧れながら世界の片隅で砂を掴む

本、ポルトガル語学習、海外移住よもやま話。(※在住国はポルトガルではありません。)

澁澤龍彦『高丘親王航海記』。エロス、そしてタナトス。

「航海記」の三文字を見て先ず思い浮かべる作品は何だろう。私の場合はスウィフトの『ガリバー旅行記』、もしくは河口慧海の『西蔵旅行記』である。

 

例によって『高丘親王航海記』は積ん読電子本の中に埋れており、いつどうして買ったのかも覚えていない。澁澤龍彦の作品の愛読者というわけでもない。通勤電車で読んでいたので読了まで一週間程かかってしまった。読書開始当初は作品周辺の情報を持たず、電子書籍故か解説文も付属していなかった為、全くの手探りで澁澤の世界に乗り出すしかなかった。

 

この小説は、865年に渡天を試みた実在の人物「高岳親王」をモデルに描かれている作品なので、河口慧海の『西蔵旅行記』のような、伝記もしくは紀行文的な小説かと思っていたが、読み進める内にそういったものとは全く異なる種類の作品である事に気がついた。儒艮(ジュゴン)や獏が人語を話し、アナクロニズムが跋扈する世界……いや、それらは表層に過ぎない。『高丘親王航海記』を構成するものは、「生」と「死」……生命への憧れ(卵生、球体幻想)と、恐らく死期を悟った澁澤龍彦自身の「天竺」への眷恋だろう。生と死、夢と現が表裏一体となり織りなす、命の冒険譚。

 

球体幻想

 子どものころから、自分には美しい珠玉を掌中に玩弄して楽しむという癖があった。

 

『高丘親王航海記』には様々な球体が登場する。また、主人公・高丘親王の球体に対する執着から、物語は天竺へ向けて転がり始めている。球体、球体、どこを見ても球体が転がっている。 「幼少時、藤原薬子に弄ばれた親王の睾丸」、「卵及び卵生への憧れ」、「薬子が庭に投げた玉」、「儒艮の糞」、「海の彼方から飛んできて蟻塚に埋まった翡翠」、「夢を喰った獏の糞」……。

圧倒的球体のオンパレード。何故ここまで球体にこだわるのか、鍵は「卵」にある。生命の象徴である「卵」、生命への執着。それは性愛の象徴・藤原薬子と繋がる。

 

 「三界四生に輪廻して、わたし、次に生れてくるときは、もう人間は飽きたから、ぜひとも卵生したいと思っているのです。」

 「卵生。」

 「そう、鳥みたいに蛇みたいに生れるの。おもしろいでしょう。」

 そういうと、薬子はつと立ちあがって、枕もとの御厨子棚から何か光るものを手にとるや、それを暗い庭に向かってほうり投げて、うたうように、

 「そうれ、天竺まで飛んでゆけ。」

 

上記は第一章『儒艮』より、幼少時の高丘親王藤原薬子との会話の抜粋であるが、このやり取りが一種の呪詛のように航海記全体に取り憑いており、高丘親王を最終章まで導くのである。

尚、 薬子が庭に投げた光るものについて、薬子は「わたしの未生の卵とでも申せばよいのでしょうか。それとも薬子の卵だから薬玉と呼びましょうか。」と述べている。この卵を追うようにして、親王は天竺を目指した。

 

しかし、儒艮の糞と獏の糞は球体と何の関係があるのか。それについては「卵生への憧れ」を踏まえ、それぞれが描かれている箇所を読めば、単なるスカトロジー表現でないことがわかる。鳥の場合、卵と糞は同じ場所(総排出腔)から排出される。儒艮も獏も鳥類ではないが、半ば卵生化している。

 

儒艮の糞については下記に抜粋する。

 退屈まぎれに船子たちの手で甲板に引きあげられた全身うす桃色の儒艮は、船長のさし出す肉桂入りの餅菓子を食い、酒をのませてもらうと、満足そうにうつらうつらしはじめた。やがて、その肛門から虹色のしゃぼん玉に似た糞が一粒、また一粒と、つづけざまに飛び出して、ふわふわと空中をただよっていったかと思うと、ぱちんと割れて消えた。

(満員電車の中で読んでいてギョッとしたシーンの一つである。日本でなくて良かった。)

 

続いて、獏の糞について。

 めんくらった秋丸を見て、親王は大笑いに笑ったものだが、ふと下に落ちている動物の排出したばかりの糞に目をやると、はっとして、思わず秋丸と顔を見合わせた。それはさっき一同がきのこと間違えた、あの正体不明の丸いものとまったく同じ種類の物質にほかならなかったからである。

 

両者ともに、糞とは言い難い不思議な特徴(形状、芳香など)を備えている。そして、玉のように丸い。 (獏の糞については長いので詳細は引用せず、糞として登場したシーンのみ引用した。)

球体とスカトロジーと言えばバタイユの影響が考えられるが、バタイユとの違いは、球体への思慕が仏教思想をベースに生まれたもので、「卵生」との強固な繋がりがあり、その結果、糞が卵とより接近した存在として描かれている点である。

 

陰陽二元論

「球体への思慕」だけでなく、物語を支配する二元論についてもバタイユからの影響を無視は出来ないが、両者の間にはやはり洋と宗教観が異なる事による決定的な違いが横たわっている。『高丘親王航海記』の中の二元論は西洋的なものではなく、中国思想の「陰陽」に基づいており、それは「陰」と「陽」があることで調和が保たれる、という考え方である。作中では道家の典籍『淮南子』についても言及されている。

物語の中で対立する事物としては、

・生命(性愛)と死

・秋丸と春丸

・円覚と安展

などが挙げられる。

性愛(球体)と死(天竺)は同時に求められる、何故なら薬子は天竺に向かって玉を投げたのだから。

二人で一人の迦陵頻伽である秋丸と春丸は、儒艮に対する反応の違いにより「異なる性質」が明示されている。

円覚と安展は侃侃諤諤の議論をするがそれは一種のスポーツのごときもので、ぶつかり合いながらも調和の取れた関係である。

 

一番はっきりとした「対になるもの」は新大陸の大蟻食いと、そのアンチポデス(対蹠点)だろう。このアンチポデスの大蟻食いは蟻塚に埋まった石の力で現象として生み出されたのだが、蟻塚に埋まっている石と、藤原薬子が庭に投げた玉が、親王の意識の中で繋がっている。だがその玉を蟻塚からひっぺがした瞬間、対蹠地と新大陸との繋がりが断ち切られたのか、アンチポデスの大蟻食いは消え去ってしまった。新大陸の大蟻食いにも何らかの影響があった可能性があるが、そこまでは描かれていない。この大蟻食いの話は第一章『儒艮』の最後に不吉な影を投げ掛けている。

 

その不吉な影がむくりと起き上がって姿を再び表すのが、『鏡湖』の章。親王は、いつの間にか「半身」を失った事に気がつく。

 

あるきながら、いつもの自分をどこかへ置き忘れているような、なにか自分の中に抜けおちた部分があるような、へんに頼りない気持がすることも事実であった。

 

親王は洱海にて、自分の顔が湖水に映らない事に気がついた。陰陽思想に基づくならば、「半身」を失った親王は調和を失い、存在の危機に陥った事になる。洱海のある南詔国の蒙剣英より「湖水に顔のうつらぬものは、一年以内に死ぬという。」という話を聞いた親王であるが、その後、大理城にある鏡にも親王の姿は映らなかった。

陰陽の調和を失った親王の行末は、ここには書かない。

 

 死を見つめて

『獏園』の章にて、親王が盤盤国で捕らえられ渡天の目的を問われた際、「仏法を求めるため」とは即答できなかった。「ただ子どものころから養い育ててきた、未知の国への好奇心のためだけに、渡天をくわだてたのだと考えたほうが分相応のような気がしないでもなかった。」と、読者に対して内心が明かされている。やはりここにも藤原薬子の影がある。親王に初めて「天竺」という言葉を吹き込み、球体への執着を植え付けたのは藤原薬子であった。親王にとって天竺は終着点となり、球体は性愛と生命誕生の象徴となった。

物語後半では、親王が美しい真珠(病める貝が吐き出した美しい異物)を飲み込み、それが原因となって喉を病んでしまう。病は次第に親王を弱らせ、一つの命、一つの物語の終焉へと導く。あれほどまでに執着した「球体」を体内に取り込んだ親王は、薬子が「天竺へ飛んでゆけ。」と投げた石(命、始まり)がある天竺(終着点)へと、より接近したのである。親王の求めた、目的の地へと。

 

物語を読み終わった後、種明かしにとウィキペディアを開き、著者・澁澤龍彦がこの作品を書いていた時期について調べ、言葉を失った。

 

澁澤は幼い頃から喉が弱く、知人の間では特徴的なかすれ声で知られていたが、近所の医師の誤診から下咽頭癌の発見が遅れたため、1986年に声帯を切除し、声を失った。このあと、真珠を呑んで声を失ったという見立てにもとづき、またスペインの伝説上の放蕩児ドン・ファンDon Juanのフランス語発音「ドン・ジュアン」にちなみ、「呑珠庵」と号する。 入院生活の最中も『高丘親王航海記』を書き継ぎ脱稿、次作『玉蟲物語』を構想していたが、1987年8月5日、東京都港区の東京慈恵会医科大学附属病院の病床で読書中に頚動脈瘤の破裂により死去、59歳没。

Wikipedia 澁澤龍彦のページより抜粋)

 

巻末の出版情報の頁では、最終章『頻伽』の初出が『文學界』昭和六十二年六月号、とある。逝去の少し前までこの作品に取り組み、発行したことに間違いはなく、自らの死を予感しながら天竺への旅路を書いていたと考えると、なんと切ない事かと思う。澁澤の、生への渇望、苦しみ、死の予感、人生そのものから生み出された作品だったのだ。まるで、獏が親王の夢を食って生み出した球体のように。

仏文学者である澁澤が生涯をかけて得た教養・文学のエッセンスが惜しみなく注がれている、素晴らしい作品であった。

 

この齢まで澁澤龍彦に出会えなかった事を、口惜しく思う。

また、一つのブログ記事で扱うには重たすぎる本だったかもしれない、何度か修正したがもうエネルギー切れである。