リスボンに憧れながら世界の片隅で砂を掴む

本、ポルトガル語学習、海外移住よもやま話。(※在住国はポルトガルではありません。)

The Great Gatsby 「華麗なる映像美」の裏側に潜むもの。

いつまで経っても帰国出来ないストレス、そしてニーチェを読み続けた影響で心身のバランスを崩し、何も書けない日々が続いていた。ポルトガル語の勉強も一時停止中である。こんな時はあまり考え込むのは良くないと思い、Netflixに再加入し、暇さえあればドラマや映画を観ている。

最近観た映像作品の中で特に印象的だったのが、2013年版の"The Great Gatsby"(邦題『華麗なるギャッツビー』)である。原作は読んでいなかったので、全く新しい体験として楽しむ事が出来た。

 

監督は"Moulin Rouge!"(邦題『ムーラン・ルージュ』)のBaz Luhrmann。

Moulin Rouge!は、豪華絢爛な映像世界、そして使用楽曲が現代音楽(マドンナやニルヴァーナ等)である事から、好き嫌いの別れる映画であった。The Great Gatsbyを観終わってから改めて観てみたところ、若く未熟な映画という印象が残った。学生時代にこの映画を初めて観たときはその鮮やかさと斬新な音楽の使い方に惚れ込んだ記憶があるのだが……もし今回の視聴が初めてだったら、「ボヘミアンもへったくれもない、とにかく騒がしいだけの映画だった。」と酷評した事だろう。

 

そんなMoulin Rouge!と比べると、The Great Gatsbyはかなりの良作、監督の成長が感じられる。乱痴気騒ぎを撮らせたら随一のBaz Luhrmannなので、本作もパーティーのシーンは圧倒的な色彩美が押し寄せてくる。

(但し、それを美とは思えない人もいるかもしれない。美しさで有名なミュージカル映画"The Phantom of the Opera"と比べると、下品に感じられる。)

また、アフタヌーンティーのシーンも、乙女心をくすぐるような美しさである。そして、Carey Mulligan演じるDaisy Buchananの、一輪の白い花のような美貌。

 

だが、美しさの裏側に潜むものは、 愚かさ、弱さ、そして自己愛の塊だった。

 

Daisyが存在しなければ、彼女と出会わなければ、Gatsbyは成功者にはなり得なかったのかもしれない。存在しないと話が成り立たない、物語上重要な人物である。だが、これ程嫌悪感を覚えるキャラクターは中々居ない、"La La Land"のMiaを彷彿とさせる、吐き気を催すほどの自己愛の塊だと思った。(あの映画のファンの人の視界に入ってしまったら申し訳ない、しかし、私はあの映画が腹の底から嫌いなのである。)

そのDaisyが、自分の娘がどのように成長して欲しいかについて述べている台詞がある。

 

"I hope she’ll be a fool—that’s the best thing a girl can be in this world, a beautiful little fool."

"The Great Gatsby"(2013)

 

映画を観終わった時、これはまさに、彼女そのものを指しているのではないか、と思った。この時代のアメリ社交界を女性が生き抜く為に、彼女は美しいバカである必要性を感じていたのだろう。フェミニズム的観点からの批判を引き出す台詞だと思われるが、私はそれよりも、性別を超越した、Daisyという一人の人間の愚かさ、そして自己愛を抉り出すような台詞であると思う。そのような美しさをもって他者を無意識に踏み躙りながら生きたとして、一体何が得られよう……と考えたのだが、このような人間は大体天寿を全うし、死ぬ間際には「ああ、幸せな人生だった。子供たちも孫たちも立派に育って。」と満足するのだから、踏み躙られた人間が一方的に損をするだけなのである。尚、彼女の夫であるTomも自己中心的かつ支配的でろくでもない人間なのだが、ある意味とてもお似合いの夫婦である。

 

Gatsbyの死後、Buchanan夫妻についての主人公Nickのナレーションが入るシーンがあるのだが、的を得ているようで、まだ優しすぎる表現だと思う。Fitzgeraldにケチをつけたいわけではないのだが、コテンパンに罵りたい程、私はこの夫婦が嫌いなのである。 

 

They were careless people, Tom and Daisy. They smashed up things and people and then retreated back into their money and their vast carelessness.

"The Great Gatsby"(2013)

 

間抜けな水着を着て死んだ孤独なGatsbyの人生は、一体何だったのだろうか。

 

尚、この映画にはアナクロニズム的なポリティカルコレクトネスの導入が見られるが、監督がBaz Luhrmannだと思えば、そういうものだと納得出来るのではないだろうか。

そういった表現を良しとしない視聴者は、避けるべき作品である。