リスボンに憧れながら世界の片隅で砂を掴む

本、ポルトガル語学習、海外移住よもやま話。(※在住国はポルトガルではありません。)

The Great Gatsby 「華麗なる映像美」の裏側に潜むもの。

いつまで経っても帰国出来ないストレス、そしてニーチェを読み続けた影響で心身のバランスを崩し、何も書けない日々が続いていた。ポルトガル語の勉強も一時停止中である。こんな時はあまり考え込むのは良くないと思い、Netflixに再加入し、暇さえあればドラマや映画を観ている。

最近観た映像作品の中で特に印象的だったのが、2013年版の"The Great Gatsby"(邦題『華麗なるギャッツビー』)である。原作は読んでいなかったので、全く新しい体験として楽しむ事が出来た。

 

監督は"Moulin Rouge!"(邦題『ムーラン・ルージュ』)のBaz Luhrmann。

Moulin Rouge!は、豪華絢爛な映像世界、そして使用楽曲が現代音楽(マドンナやニルヴァーナ等)である事から、好き嫌いの別れる映画であった。The Great Gatsbyを観終わってから改めて観てみたところ、若く未熟な映画という印象が残った。学生時代にこの映画を初めて観たときはその鮮やかさと斬新な音楽の使い方に惚れ込んだ記憶があるのだが……もし今回の視聴が初めてだったら、「ボヘミアンもへったくれもない、とにかく騒がしいだけの映画だった。」と酷評した事だろう。

 

そんなMoulin Rouge!と比べると、The Great Gatsbyはかなりの良作、監督の成長が感じられる。乱痴気騒ぎを撮らせたら随一のBaz Luhrmannなので、本作もパーティーのシーンは圧倒的な色彩美が押し寄せてくる。

(但し、それを美とは思えない人もいるかもしれない。美しさで有名なミュージカル映画"The Phantom of the Opera"と比べると、下品に感じられる。)

また、アフタヌーンティーのシーンも、乙女心をくすぐるような美しさである。そして、Carey Mulligan演じるDaisy Buchananの、一輪の白い花のような美貌。

 

だが、美しさの裏側に潜むものは、 愚かさ、弱さ、そして自己愛の塊だった。

 

Daisyが存在しなければ、彼女と出会わなければ、Gatsbyは成功者にはなり得なかったのかもしれない。存在しないと話が成り立たない、物語上重要な人物である。だが、これ程嫌悪感を覚えるキャラクターは中々居ない、"La La Land"のMiaを彷彿とさせる、吐き気を催すほどの自己愛の塊だと思った。(あの映画のファンの人の視界に入ってしまったら申し訳ない、しかし、私はあの映画が腹の底から嫌いなのである。)

そのDaisyが、自分の娘がどのように成長して欲しいかについて述べている台詞がある。

 

"I hope she’ll be a fool—that’s the best thing a girl can be in this world, a beautiful little fool."

"The Great Gatsby"(2013)

 

映画を観終わった時、これはまさに、彼女そのものを指しているのではないか、と思った。この時代のアメリ社交界を女性が生き抜く為に、彼女は美しいバカである必要性を感じていたのだろう。フェミニズム的観点からの批判を引き出す台詞だと思われるが、私はそれよりも、性別を超越した、Daisyという一人の人間の愚かさ、そして自己愛を抉り出すような台詞であると思う。そのような美しさをもって他者を無意識に踏み躙りながら生きたとして、一体何が得られよう……と考えたのだが、このような人間は大体天寿を全うし、死ぬ間際には「ああ、幸せな人生だった。子供たちも孫たちも立派に育って。」と満足するのだから、踏み躙られた人間が一方的に損をするだけなのである。尚、彼女の夫であるTomも自己中心的かつ支配的でろくでもない人間なのだが、ある意味とてもお似合いの夫婦である。

 

Gatsbyの死後、Buchanan夫妻についての主人公Nickのナレーションが入るシーンがあるのだが、的を得ているようで、まだ優しすぎる表現だと思う。Fitzgeraldにケチをつけたいわけではないのだが、コテンパンに罵りたい程、私はこの夫婦が嫌いなのである。 

 

They were careless people, Tom and Daisy. They smashed up things and people and then retreated back into their money and their vast carelessness.

"The Great Gatsby"(2013)

 

間抜けな水着を着て死んだ孤独なGatsbyの人生は、一体何だったのだろうか。

 

尚、この映画にはアナクロニズム的なポリティカルコレクトネスの導入が見られるが、監督がBaz Luhrmannだと思えば、そういうものだと納得出来るのではないだろうか。

そういった表現を良しとしない視聴者は、避けるべき作品である。

 

現代的悪夢。

ある晴れた秋空の日、午前。空は青く高く、乾いた風が街路樹の葉を穏やかに揺すっていた。

薬局にて割れていた薬瓶を交換した帰り道。刺すような日光の下、目を細めてゆるゆると気持ち良く歩いていると、異様な光景が視界に入った。

 

犬の排泄物の臭いが漂う煉瓦道の上に、一歳ぐらいの幼児が一人、横たわっていた。

そして、それを大人の男女がスマートフォンで撮影していた。

幼児は声も上げず、ソワソワと四肢を動かす事もなく、ただぼんやりとそこに倒れ、虚空を見つめている。死んでいるのではなく、どこか具合が悪いという様子でもない。

大人の男女(恐らく両親であろう)も、一言も言葉を発さず、無言でスマートフォンの中を覗き込んでいる。彼らが意識を向けているのは、目の前の幼児ではなく、あくまでスマートフォンの中のようだった。もしかしたら、「スマートフォンで幼児を撮影している」という認識自体が誤りで、道に倒れている幼児の前でスマートフォンの中のアプリを操作していただけなのかもしれない。

通り過ぎる際に思わず凝視してしまったが、三人とも、その目の中に感情は読み取れなかった。

 

彼らの存在していた木陰だけが、どこかから切り取られ、突然その場に設置された空間のようだった。日常の中にふと顔を出した、白昼夢のような……音も動きも無い空間。もしあれが夢であったなら、悪夢の範疇に入るだろう。

スマートフォンという機械に心も表情も吸い取られ、亡霊のように佇む人間の姿。

人間は、一体どこへ向かって行くのか。

欧州ポルトガル語とブラジルポルトガル語、両者対応の文法書。

『必携 ポルトガル語文法総まとめ』(白水社)が日本から届いたので、毎日少しずつ読み進めている。久々に紙の書籍を購入したのでウキウキ気分である。

 

『必携 ポルトガル語文法総まとめ』は、欧州ポルトガルポルトガル語と、ブラジルのポルトガル語両方について書かれた、一粒で二度美味しい(?)文法書である。しかし、ブラジルのポルトガル語まで覚えている余裕が無い者にとってはブラジルについての表記は邪魔になるので、なるべく見ないようにするしかない(読んでしまうと記憶してしまって混乱する)。ブラジルポルトガル語については、いつかブラジル文学に興味を覚える日が来たら役に立つだろう。

 

内容について。名詞、冠詞、形容詞、動詞、話法など諸々の文法項目に加え、数詞や発音まで網羅されており(カタカナで誤魔化さずに国際音声記号を使って解説されている!素晴らしい!)、例文も豊富で使用法に関する記載もコンパクトかつ詳細。痒いところに手が届く、非常に役に立つ一冊である。こんな本が欲しかったと、心の底から思う。

 

著者は市之瀬敦氏。現在上智大学国語学部教授。また、ポルトガルとブラジルからそれぞれ言語学の専門家が執筆に参加している。よくわからない人がふわふわ会話向けに書いたものではない、心から信頼できる文法書である。

 

ただ、非常に素晴らしい本なのだが、難点を一つ挙げるとすれば、当たり前のように知らない文法用語が登場する点である。ポルトガル語を勉強し始めたばかりの人には厳しい。突然「ジェルンディオ」と言われても、イタリア語を勉強したことのない人間は、まずその概念を自分で調べて理解しなければならない。つまり、ある程度の外国語教育を受けたことのある人を対象として書かれている。

また、文法書なので音声CDや音声データは付属していない。この本一冊でポルトガル語の全てをどうにかしようと思うのは無謀である。音声CDやデータのついた学習書と併用するのが良いだろう。


本当は『ポルトガルポルトガル語』(内藤理佳、白水社)が欲しかったのだが、予算が足りず諦めた。だが、『必携 ポルトガル語文法総まとめ』を買って良かったと思う、正に「必携」、机に一冊備えておきたいレベルの良書である。

 

 

澁澤龍彦『高丘親王航海記』。エロス、そしてタナトス。

「航海記」の三文字を見て先ず思い浮かべる作品は何だろう。私の場合はスウィフトの『ガリバー旅行記』、もしくは河口慧海の『西蔵旅行記』である。

 

例によって『高丘親王航海記』は積ん読電子本の中に埋れており、いつどうして買ったのかも覚えていない。澁澤龍彦の作品の愛読者というわけでもない。通勤電車で読んでいたので読了まで一週間程かかってしまった。読書開始当初は作品周辺の情報を持たず、電子書籍故か解説文も付属していなかった為、全くの手探りで澁澤の世界に乗り出すしかなかった。

 

この小説は、865年に渡天を試みた実在の人物「高岳親王」をモデルに描かれている作品なので、河口慧海の『西蔵旅行記』のような、伝記もしくは紀行文的な小説かと思っていたが、読み進める内にそういったものとは全く異なる種類の作品である事に気がついた。儒艮(ジュゴン)や獏が人語を話し、アナクロニズムが跋扈する世界……いや、それらは表層に過ぎない。『高丘親王航海記』を構成するものは、「生」と「死」……生命への憧れ(卵生、球体幻想)と、恐らく死期を悟った澁澤龍彦自身の「天竺」への眷恋だろう。生と死、夢と現が表裏一体となり織りなす、命の冒険譚。

 

球体幻想

 子どものころから、自分には美しい珠玉を掌中に玩弄して楽しむという癖があった。

 

『高丘親王航海記』には様々な球体が登場する。また、主人公・高丘親王の球体に対する執着から、物語は天竺へ向けて転がり始めている。球体、球体、どこを見ても球体が転がっている。 「幼少時、藤原薬子に弄ばれた親王の睾丸」、「卵及び卵生への憧れ」、「薬子が庭に投げた玉」、「儒艮の糞」、「海の彼方から飛んできて蟻塚に埋まった翡翠」、「夢を喰った獏の糞」……。

圧倒的球体のオンパレード。何故ここまで球体にこだわるのか、鍵は「卵」にある。生命の象徴である「卵」、生命への執着。それは性愛の象徴・藤原薬子と繋がる。

 

 「三界四生に輪廻して、わたし、次に生れてくるときは、もう人間は飽きたから、ぜひとも卵生したいと思っているのです。」

 「卵生。」

 「そう、鳥みたいに蛇みたいに生れるの。おもしろいでしょう。」

 そういうと、薬子はつと立ちあがって、枕もとの御厨子棚から何か光るものを手にとるや、それを暗い庭に向かってほうり投げて、うたうように、

 「そうれ、天竺まで飛んでゆけ。」

 

上記は第一章『儒艮』より、幼少時の高丘親王藤原薬子との会話の抜粋であるが、このやり取りが一種の呪詛のように航海記全体に取り憑いており、高丘親王を最終章まで導くのである。

尚、 薬子が庭に投げた光るものについて、薬子は「わたしの未生の卵とでも申せばよいのでしょうか。それとも薬子の卵だから薬玉と呼びましょうか。」と述べている。この卵を追うようにして、親王は天竺を目指した。

 

しかし、儒艮の糞と獏の糞は球体と何の関係があるのか。それについては「卵生への憧れ」を踏まえ、それぞれが描かれている箇所を読めば、単なるスカトロジー表現でないことがわかる。鳥の場合、卵と糞は同じ場所(総排出腔)から排出される。儒艮も獏も鳥類ではないが、半ば卵生化している。

 

儒艮の糞については下記に抜粋する。

 退屈まぎれに船子たちの手で甲板に引きあげられた全身うす桃色の儒艮は、船長のさし出す肉桂入りの餅菓子を食い、酒をのませてもらうと、満足そうにうつらうつらしはじめた。やがて、その肛門から虹色のしゃぼん玉に似た糞が一粒、また一粒と、つづけざまに飛び出して、ふわふわと空中をただよっていったかと思うと、ぱちんと割れて消えた。

(満員電車の中で読んでいてギョッとしたシーンの一つである。日本でなくて良かった。)

 

続いて、獏の糞について。

 めんくらった秋丸を見て、親王は大笑いに笑ったものだが、ふと下に落ちている動物の排出したばかりの糞に目をやると、はっとして、思わず秋丸と顔を見合わせた。それはさっき一同がきのこと間違えた、あの正体不明の丸いものとまったく同じ種類の物質にほかならなかったからである。

 

両者ともに、糞とは言い難い不思議な特徴(形状、芳香など)を備えている。そして、玉のように丸い。 (獏の糞については長いので詳細は引用せず、糞として登場したシーンのみ引用した。)

球体とスカトロジーと言えばバタイユの影響が考えられるが、バタイユとの違いは、球体への思慕が仏教思想をベースに生まれたもので、「卵生」との強固な繋がりがあり、その結果、糞が卵とより接近した存在として描かれている点である。

 

陰陽二元論

「球体への思慕」だけでなく、物語を支配する二元論についてもバタイユからの影響を無視は出来ないが、両者の間にはやはり洋と宗教観が異なる事による決定的な違いが横たわっている。『高丘親王航海記』の中の二元論は西洋的なものではなく、中国思想の「陰陽」に基づいており、それは「陰」と「陽」があることで調和が保たれる、という考え方である。作中では道家の典籍『淮南子』についても言及されている。

物語の中で対立する事物としては、

・生命(性愛)と死

・秋丸と春丸

・円覚と安展

などが挙げられる。

性愛(球体)と死(天竺)は同時に求められる、何故なら薬子は天竺に向かって玉を投げたのだから。

二人で一人の迦陵頻伽である秋丸と春丸は、儒艮に対する反応の違いにより「異なる性質」が明示されている。

円覚と安展は侃侃諤諤の議論をするがそれは一種のスポーツのごときもので、ぶつかり合いながらも調和の取れた関係である。

 

一番はっきりとした「対になるもの」は新大陸の大蟻食いと、そのアンチポデス(対蹠点)だろう。このアンチポデスの大蟻食いは蟻塚に埋まった石の力で現象として生み出されたのだが、蟻塚に埋まっている石と、藤原薬子が庭に投げた玉が、親王の意識の中で繋がっている。だがその玉を蟻塚からひっぺがした瞬間、対蹠地と新大陸との繋がりが断ち切られたのか、アンチポデスの大蟻食いは消え去ってしまった。新大陸の大蟻食いにも何らかの影響があった可能性があるが、そこまでは描かれていない。この大蟻食いの話は第一章『儒艮』の最後に不吉な影を投げ掛けている。

 

その不吉な影がむくりと起き上がって姿を再び表すのが、『鏡湖』の章。親王は、いつの間にか「半身」を失った事に気がつく。

 

あるきながら、いつもの自分をどこかへ置き忘れているような、なにか自分の中に抜けおちた部分があるような、へんに頼りない気持がすることも事実であった。

 

親王は洱海にて、自分の顔が湖水に映らない事に気がついた。陰陽思想に基づくならば、「半身」を失った親王は調和を失い、存在の危機に陥った事になる。洱海のある南詔国の蒙剣英より「湖水に顔のうつらぬものは、一年以内に死ぬという。」という話を聞いた親王であるが、その後、大理城にある鏡にも親王の姿は映らなかった。

陰陽の調和を失った親王の行末は、ここには書かない。

 

 死を見つめて

『獏園』の章にて、親王が盤盤国で捕らえられ渡天の目的を問われた際、「仏法を求めるため」とは即答できなかった。「ただ子どものころから養い育ててきた、未知の国への好奇心のためだけに、渡天をくわだてたのだと考えたほうが分相応のような気がしないでもなかった。」と、読者に対して内心が明かされている。やはりここにも藤原薬子の影がある。親王に初めて「天竺」という言葉を吹き込み、球体への執着を植え付けたのは藤原薬子であった。親王にとって天竺は終着点となり、球体は性愛と生命誕生の象徴となった。

物語後半では、親王が美しい真珠(病める貝が吐き出した美しい異物)を飲み込み、それが原因となって喉を病んでしまう。病は次第に親王を弱らせ、一つの命、一つの物語の終焉へと導く。あれほどまでに執着した「球体」を体内に取り込んだ親王は、薬子が「天竺へ飛んでゆけ。」と投げた石(命、始まり)がある天竺(終着点)へと、より接近したのである。親王の求めた、目的の地へと。

 

物語を読み終わった後、種明かしにとウィキペディアを開き、著者・澁澤龍彦がこの作品を書いていた時期について調べ、言葉を失った。

 

澁澤は幼い頃から喉が弱く、知人の間では特徴的なかすれ声で知られていたが、近所の医師の誤診から下咽頭癌の発見が遅れたため、1986年に声帯を切除し、声を失った。このあと、真珠を呑んで声を失ったという見立てにもとづき、またスペインの伝説上の放蕩児ドン・ファンDon Juanのフランス語発音「ドン・ジュアン」にちなみ、「呑珠庵」と号する。 入院生活の最中も『高丘親王航海記』を書き継ぎ脱稿、次作『玉蟲物語』を構想していたが、1987年8月5日、東京都港区の東京慈恵会医科大学附属病院の病床で読書中に頚動脈瘤の破裂により死去、59歳没。

Wikipedia 澁澤龍彦のページより抜粋)

 

巻末の出版情報の頁では、最終章『頻伽』の初出が『文學界』昭和六十二年六月号、とある。逝去の少し前までこの作品に取り組み、発行したことに間違いはなく、自らの死を予感しながら天竺への旅路を書いていたと考えると、なんと切ない事かと思う。澁澤の、生への渇望、苦しみ、死の予感、人生そのものから生み出された作品だったのだ。まるで、獏が親王の夢を食って生み出した球体のように。

仏文学者である澁澤が生涯をかけて得た教養・文学のエッセンスが惜しみなく注がれている、素晴らしい作品であった。

 

この齢まで澁澤龍彦に出会えなかった事を、口惜しく思う。

また、一つのブログ記事で扱うには重たすぎる本だったかもしれない、何度か修正したがもうエネルギー切れである。

 

 

孤独を詠む、蛸を喰む。シェリーと井伏、月を愉しむ詩。

吹く風が秋めいてきた。そろそろ中秋である。

中秋と言えば月と団子。ウィキペディアで「中秋節」と検索すれば、宋の詩人・蘇軾が中秋の月を宝玉の皿に喩えた詩について書かれている(暮雲收盡溢清寒,銀漢無聲轉玉盤。此生此夜不長好,明月明年何處看。)。

だが私には残念ながら漢詩を分析する教養とわざわざ勉強する程の興味がないので、月に関する英国の英詩と、中秋に詠まれた日本語の詩を一つずつ紹介する。

 

パーシー・ビッシュ・シェリー 『月に』

To the Moon (by Percy Bysshe Shelley)

 

I

Art thou pale for weariness

Of climbing heaven and gazing on the earth,

Wandering companionless

Among the stars that have a different birth,-

And ever changing, like a joyless eye

That finds no object worth its constancy?

 

II

Thou chosen sister of the Spirit,

That gazes on thee till in thee it pities...

 

月に。

I

汝、疲れ青ざめているのか

天へと昇り地を眺めることに、

友も無く彷徨うことに

異なった生まれを持つ星々の間を……

そして絶えず位置が変わり続けることに、索莫たる眼の如く

留まるに値するものが見つからずに。

II

汝、選ばれし聖霊の妹よ、

聖霊はお前を見ている、お前を哀れと思うまで……

(日本語訳は私が昔のメモを参考に行った。)

 

パーシー・ビッシュ・シェリー(1792-1822)はイングランドサセックス出身の詩人である。"The Necessity of Atheism"(無神論の必要)を書いてオックスフォード大学を追放されたとの事である。今こうして調べてみると思想的にもとても興味深い詩人なのだが、学生の頃に詩を二篇読んだだけで通り過ぎてしまった。惜しいことをした。時間があったら他の詩についても調べてみたい。尚、日本でも詩の翻訳等が多数出版されているようである。

 

ところで、今回この記事を書く為に、インターネットで下調べをしていて初めて気が付いたのだが、この詩は別の編者によって出版された、異なる形式のものがあるらしい。本記事では、私が持っている研究社の詩集に準拠するが、第二スタンザの二行はW. M. Rossettiが1870年に発行したものに掲載されているとの事である。(時間とお金があったらもっと詳しく突っ込んで調べるのだが……。)

 

さて、注釈によると、この詩は「月を孤独な自我の象徴としている」との事である。

和訳は原文の改行の都合で意味が通りにくいので、第一スタンザのみ下記にわかりやすく内容を書き出します。

 

天へと昇り地を眺め、共に歩む友も無く、異なる生まれの星々に囲まれ彷徨い続ける、月。

「見るべき価値のある物」が見つからない寂しさの中で動き続ける目のように、その位置を変え続ける、月。

その「放浪」に疲れ果て、青ざめているのか?

 

改めて読むと、私自身が長らく置かれている現状のようで、心にぐさりと突き刺さる。自己を見つめれば見つめる程、孤独に青ざめる。1820年の作であるが、シェリーはどのような状況でこの詩を書いたのだろうか。どうも、私同様アップダウンの激しい人生だったようである。

 

また、月に関しては白居易も寂しい詩を残しているが、やはり詩人に孤独さを感じさせる天体なのだろうか。他の星々とは異なる大きさで、闇の中で静かに浮いているその姿……賑やかさ、華やかさとは遠い、光りながらも陰ある存在。

地球上の一部地域では、中秋は一族で集まり月を見ながら賑やかに過ごすようだが、そういった「月の見方」とは大きく感性が異なる。月に対して投影するものや、月を見る体験が個人的なのか集団的(他者との共有)なのか、の違い。

どちらでも個人の好きにすれば良いのだが、日陰に生きる闇属性の身としては、ワッショイワッショイ賑やかな集団には関わりたくない。

月は、独りで見ていたい。

 

そんな「独り時間」を愉しむ詩へと、バトンタッチする。

 

『逸題』 井伏鱒二

今宵は仲秋明月

初恋を偲ぶ夜

われら万障くりあはせ

よしの屋で独り酒をのむ

 

春さん蛸のぶつ切りをくれえ

それも塩でくれえ

酒はあついのがよい

それから枝豆を一皿

 

ああ 蛸のぶつ切りは臍みたいだ

われら先ず腰かけに坐りなほし

静かに酒をつぐ

枝豆から湯気が立つ

 

今宵は仲秋明月

初恋を偲ぶ夜

われら万障くりあはせ

よしの屋で独り酒をのむ

 

(新橋よしの屋にて)

 

 

『厄除け詩集』収録。

シェリーの詩とは全く方向性の異なる作品なので一つの記事にまとめるか迷ったのだが、文化圏と宗教観、時代の違いと詩人の個性が際立って面白いので、このまま掲載した。

同じ「月」と「独り」を詠んでいても、受ける印象は全く異なる。一人の詩人には、一つの世界がある。(多数の世界を構築しようとした詩人もいたが。)

 

ところでこの詩、ちょっと節でもつけて歌いたくなるような、独特の味わいがある。飾らない、気取らない、下町文化的な風味。シェリーの詩と比べると、月から地面に引っ張り戻されたような世俗感。また、「今宵は仲秋明月……」の部分は冒頭と末尾でリフレインさせているのが音楽的で面白い。

リフレインさせているぐらいだから強く印象に残る「仲秋明月」であるが、新橋よしの屋から月が見えていたのかどうかはわからない。恐らく見えていなかっただろう。ただ単に、仲秋明月にかこつけて飲んでいた酒好きかもしれない。何故って、あまりにもその酒と肴の描写が美味そうだからである。蛸のぶつ切り、ほかほかの枝豆、熱燗。

「まあまあ、今夜は仲秋明月なのだ。手元のあれこれはそこまでにして、初恋を思い出しながら独り酒でも飲もう……」、そんなふうに、新橋の夜空に向かって独り言ちながら、よしの屋へと歩く。

但し、万障繰り合わせるのは「われら」なので、独りぼっちの孤独は感じられないし、それを寂しがったり嘆いたりしているわけではない。よしの屋に入れば、酒を持ってきてくれる春さんもそこに居る。

そして、いい頃合いに店を出れば、まんまるいおっ月さんが、蛸みたいに赤くなった酔っ払いを見下ろしているのかもしれない。

 

月を眺めながら、酒をちびりちびり、蛸のぶつ切りを食べたくなる詩である。読んでいるだけで、なんとなく酔ってしまいそうだ。

(しかし、蛸はとても高いので、買えません……。)

 

 

シーナ・ブラックホール『実存主義者』

わたしはどこに住んでいるの?

月曜日から日曜日のあいだに

カラスの眼の網膜の中に

わたしは青い風船の下でチクチクする薄膜

 

いつも、塩はこぼれる。食器棚の影が

床を横切る。

 

シーナ・ブラックホール実存主義者』。翻訳は私が行った。

原文は下記Scottish Poetry Libraryページ内で読めるので、英詩に興味のある人は是非読んでみて欲しい。解釈は簡単ではないが、短く、非常に印象深い詩である。私の怪しい翻訳よりも原文を音読する方が、散りばめられた韻も味わえて楽しい事間違いなしである。

この詩は2007年のBest Scottish Poemsの一つとして選ばれたものであるが、編者及び作者のコメントも記載されていて解釈の助けになるだろう。

 

www.scottishpoetrylibrary.org.uk

 

さて、突然スコットランドの英詩を引っ張り出して来たのだが、私は元々英詩が好きだったわけではないし、この詩も「何か面白い詩はないだろうか。」とネットサーフィンをしていてたまたま見つけたものである。

 

尚、英詩は昔勉強した事があるのだが、氷河期の就職戦線で半ば死にかけた心に

"How happy is he born and taught

That serveth not abother's will"

という詩文の水を撒かれても、何も響かず芽生ず育たず終いであった。理論もすっかり忘れてしまった。「そんなことより就職が見つからない、この先どうすれば良いのか。」という気持ちの焦り、エントリーシート作成やら何やらで削られた睡眠と体力の不足が、心の栄養を吸収するための貴重な時間を食い潰してしまった。転落への第一歩である。

 

話が逸れてしまった。『実存主義者』に戻ろう。

タイトルは他に訳しようがないのでそのまま実存主義者としたが、原文だと"Existentialist"。冠詞は無い。

著者Sheena Blackhall氏自身の体験、思想を表現した詩である。

Sheena Blackhall氏はスコットランドの詩人で、英語とアバディーンシャーのスコットランド方言で詩を書き、数冊の本を出版している。(『実存主義者』ではアバディーンシャー方言は使用されていない。)

 

詩の解釈について、私が出来る範囲で書いてみようと思う。

 

著者は詩の後半部分から解釈をしているのでそれに倣う事にするが、その後半二行「いつも、塩はこぼれる。食器棚の影が床を横切る。」の部分は、詩人の幼少期の記憶である。(恐らく「実存主義者」ではなかった頃の。)「塩」と「食器棚」には冠詞"the"が付されているが、「わたしが小さい頃のあの塩」「おばあちゃんの家にあったあの古い食器棚」という意味が内に含まれている。何故「塩」がここで登場するのかというと、西洋文化では塩をこぼす事は不吉であると古くから言われており、特に英国(アイルランドを含むか否か、他欧州諸国にも同様の習慣があるかは不明)では、「塩をこぼした際にはひとつまみの塩を左肩の上へ、悪魔の目玉めがけて投げつけると良い。」という迷信があるらしい。著者の母親のプロテスタント的宗教観や、幼少期の著者を取り巻く環境、そこにはいつも暗い「悪魔」の影が見え隠れしていたのだろう。だから、塩はいつもこぼれ、食器棚からは不吉な影が床を這っていた。この過去の記憶に関する部分を、行をあけた後半に持ってくることで、現在と過去の対比がなされている。また、「悪魔」はノスタルジックな「思い出」の中へと封じ込められてしまった。

 

そして、残りの部分、最初の四行について。

こちらは著者曰く「最初の三行は無我と純粋な空(虚空)の地について言及し主体と客体の非二元論の記述を試みた」との事である。また、道元の"The whole moon and the entire sky are reflected in one dewdrop on the grass"という言葉が、この詩(『実存主義者』)が伝えようとしている事に近いと引用しているが、「全月も弥天も、草の露にもやどり、一滴の水にも宿る」(『正法眼蔵現成公案』)の英訳のようである。仏教はそれほど興味が無いのであまり詳しく勉強した事が無いのだが、「草の露や一滴の水の中にも、月や星空がありのままに映るように、悟りの光は誰の心にも映る」という事らしい。   

 

さて、一行目は問いを立てる事から始めており、著者のコメント通り、非常に哲学的である。

二行目、三行目は一行目への答えである。月曜日から日曜日の時空の中に「わたし」、カラスの目玉の中に映っている「わたし」。一見、拠り所の無さに不安を感じるが、仏教的視点から見るとその意図する所が理解できる。永遠に不変の本質などは存在せず、諸行無常なのである。

四行目の翻訳と解釈が一番難しい箇所であった。原文だと"I am a skin of prickles under a blue balloon"であるが、何故ここで急に青い風船が出てきたのか、はっきりしないので想像で語るしかない。著者のコメントによると、「私は老化、非永久性、そして病気についての教訓を学んでいた、私たちの誰もがしなければならないように。『わたしは青い風船の下でチクチクする薄膜』。知的に、仏教の発見は石の下から純粋な光の中へ這い出すように感じられた。」との事である。(兄の死やアバディーンチフス事件を乗り越えての言及だろうか。)

いつかは失われる「わたし」という儚い存在、それを表現する為に「風船」としたのだろうか。"blue"を選んだのは、頭文字が"balloon"同様bだから見かけ上の頭韻を踏みたかったのかもしれないし、『Blue Balloon (The Hourglass Song)』(青い風船 砂時計の歌)と関連があるのかもしれない。

また、skinは皮ではなく薄膜と訳した。prickles(トゲ)にチクチク刺されている、いつ破裂するかわからない風船、というイメージだろうか。

 

 

ここまで記事を書くのに数時間を要してしまった。

詩を読みながら考えていた事が整理出来たが、訳の正解がわからないので(そもそも正解はあるのだろうか)、どうも悶々としてしまう。

文学を理解する為には縦にも横にも網を張らなければならない。世の中わからない事だらけで目玉がグルグル回るが、面白い詩があちらこちらにあるものだなあ、と感慨深い。

 

 

木をモノとしか捉えられない人々。

植木らが

打ち棄てられて

夢見るは

赤子の泣き声

青の秋空

(マキシミナ11世)

 

以前、集合住宅の公共のゴミ捨て場に使用済み便器が投棄されていた事を書いたが、昨晩は観葉植物が捨てられていた。

観葉植物が捨てられていたのは今回が初めてではない。これまでにも何度か、家庭ゴミを入れる大型ゴミ箱の中にダイレクトに観葉植物が突っ込まれていた

今まで捨てられていた観葉植物は全て背の高い大きめの木で、鉢ごとそのまま投棄されており、枝には緑の葉が生い茂っていた。推測であるが、木の病気やハダニなどの問題で捨てられたわけではないようである。

 

想像してみて欲しい。

 

外国映画で見かけるような、大きな黒いゴミ箱が、窓の無い狭い部屋にぽつんと置かれている。

中に放り込まれているのは、袋に詰め込まれた残飯。

そして、まだ生きている木。

 

あまりにも寂しく、胸に突き刺さる光景である。何故こんな事が出来るのだろうか、一体何の為に植物を買ってきて家に置いたのか。受けてきた教育が異なるせいだろうか。捨てられるその日まで美しい緑色で己が心を慰めてくれた木を、日々水をやり世話をしてきた木を(もしかしたら自分では一切水やりをしていないのかもしれないが)、生ゴミ入れの中に放り込める人とは、一体今までどんな生き方をしてきた人なのだろう。

勿論、ゴミ収集スタッフや他の住人の事を何一つ考えていない、対人道徳の欠如も大きな問題なのだが、それ以上に「命ある他の種族」に対する感覚の違いに、唖然とさせられた。

 

また、この「植物」への冷徹さ、完全なるモノ扱いの意識は、そのまま環境保護への無関心を表している。家の中にある植物すら大事に出来ない人間に、外に自然に生えている木を大事にしようなどという気持ちが起こるはずがない。

昨今、先進国では環境保護サステナビリティの重要性が叫ばれ、日本などはかなり努力をしていても「足りない」と詰められる始末である。が、発展途上国の圧倒的な意識の低さ、「自分さえ良ければそれで良い。」という自己中心的な考え方を変えなければ、地球は人類が滅びる日まで、いや、滅びてもなお汚染され続けるだろう。そのような自己中心的な人々が多く子孫を残してゆく未来を考えると、反出世主義への確信がより一層深まるばかりである。人類の未来は暗い。

尚、途上国の場合は「貧しさ」が環境破壊の言い訳にされる。しかし、途上国の中でも中流日本人以上に資産を持っている人間が増えているにも関わらず、その環境への意識は一向に改善されない。(改善されていないからゴミ箱に植木鉢を突っ込むような事を平気でやらかすのである。)先進国で環境保護を訴える人々の意識との差は、永遠に遠く離れたままだろう。何故なら、金持ちになる為の勉強だけは一生懸命だが、それ以外の分野になると興味を持たれずそっぽを向かれているからである。(例:英語は立身出世の為に必死で勉強するが、英文学は完全に無視されている。)

また、開発独裁の結果、自由な議論や経済発展の邪魔になるような分野が発展できない国もある。開発独裁国家に加担してきたのは先進国なので責任を持って対処すべきと私は考えるが、誰も責任など取らないまま、問題は次世代へと投げ捨てられるのだろう。あの、植木鉢のように。

 

最後まで悲観的な話で終わってしまったので、清らかな散文を引用して締めようと思う。

 

そしてわが人生の果てにたどりつく真正かつ永遠なる目的地として、あの松の木は、その安らかさの中に憩うようにとわたしをいざなうのだ。

(『いただきの松の木』より)

『プラテーロとわたし』(フアン・ラモン・ヒメーネス、長南実訳)