リスボンに憧れながら世界の片隅で砂を掴む

本、ポルトガル語学習、海外移住よもやま話。(※在住国はポルトガルではありません。)

現代的悪夢。

ある晴れた秋空の日、午前。空は青く高く、乾いた風が街路樹の葉を穏やかに揺すっていた。

薬局にて割れていた薬瓶を交換した帰り道。刺すような日光の下、目を細めてゆるゆると気持ち良く歩いていると、異様な光景が視界に入った。

 

犬の排泄物の臭いが漂う煉瓦道の上に、一歳ぐらいの幼児が一人、横たわっていた。

そして、それを大人の男女がスマートフォンで撮影していた。

幼児は声も上げず、ソワソワと四肢を動かす事もなく、ただぼんやりとそこに倒れ、虚空を見つめている。死んでいるのではなく、どこか具合が悪いという様子でもない。

大人の男女(恐らく両親であろう)も、一言も言葉を発さず、無言でスマートフォンの中を覗き込んでいる。彼らが意識を向けているのは、目の前の幼児ではなく、あくまでスマートフォンの中のようだった。もしかしたら、「スマートフォンで幼児を撮影している」という認識自体が誤りで、道に倒れている幼児の前でスマートフォンの中のアプリを操作していただけなのかもしれない。

通り過ぎる際に思わず凝視してしまったが、三人とも、その目の中に感情は読み取れなかった。

 

彼らの存在していた木陰だけが、どこかから切り取られ、突然その場に設置された空間のようだった。日常の中にふと顔を出した、白昼夢のような……音も動きも無い空間。もしあれが夢であったなら、悪夢の範疇に入るだろう。

スマートフォンという機械に心も表情も吸い取られ、亡霊のように佇む人間の姿。

人間は、一体どこへ向かって行くのか。