リスボンに憧れながら世界の片隅で砂を掴む

本、ポルトガル語学習、海外移住よもやま話。(※在住国はポルトガルではありません。)

千種創一歌集『砂丘律』。手に取れば、アラビア。

発売時インターネットで話題になった歌集なので、ご存知の方も多いだろう。

著者千種氏は1988年生まれの中東在住(歌集『千夜曳獏』に経歴の記載がある。)、新しい世代の歌人である。故に、近代の歌人のように、「結核で死ぬ間際の最後の命を振り絞って産み落としました」というような、鬼気迫る……散りかけた人の情念の強烈さが迫り来る作品ではない、と思う。

しかし、近代の歌人とはまた違う表現方法で、遠い中東の「命」の存在、軽々しく吹き飛ばされてしまう人間の命の儚さや悲しみを、日本の読者へ伝えている。

 

映像がわるいおかげで虐殺の現場のそれが緋鯉にみえる

 

手のひらの液晶のなか中東が叫んでいるが次、とまります

 

現代らしい語彙と青年の若い感性で表される中東の混沌が、胸に突き刺さる。

勿論、本書に掲載されているのは、血の臭いを感じるような悲劇の歌ばかりではない。私が好きなものをいくつか下記に引用しよう。

 

海風を吸って喉から滅ぶため少年像は口、あけている

 

どら焼きに指を沈めた、その窪み、世界の新たな空間として

 

アラビアに雪降らぬゆえただ一語ثلجサルジュと呼ばれる雪も氷も

 

 少年像の詩は無常感が良い。人工物である少年像の喉を、海の風がざらざらと蝕み、長い時をかけて砂の世界へ還してしまう。ドラマティックで美しい、滅びの情景が思い浮かぶ。

 

どら焼きの歌は、その感性に驚く。中東とは関係の無い歌も掲載されている本書の中で、一番のお気に入りがこのどら焼きの歌である。

柔らかなどら焼きの表面をきゅっと人差し指で押してみる(親指や中指かもしれないけれど、人差し指が自然だろう)。それによって新しい空間が世界に生まれる……そんな視点で物事を見られる人は中々居ないだろう。正直、羨ましい。

 

三つ目のアラビア語の歌は、アラビア語との出会いが楽しい。言語学オタクでなくとも、知的好奇心をくすぐられる。

アラビア語は習得の難易度が恐ろしく高いので、余程やる気が無い限り手が出ない言語である。読み書き出来る日本人は滅多に居ないだろうし、そもそも、多くの日本人はアラブ世界とは無縁の生活を送っているだろう。

だが、この美しい歌により、「アラビア語は知らないけれども雪の冷たさなら知っている読者」と、「雪の降らないアラビア」が、ثلجサルジュの一語で繋がれたのだ。

 

歌を通し、異文化と出会う事が出来る。何と素晴らしい歌集だろう。

アラブの地に出向かなくても、その砂の香りをふと感じるような、素敵な一冊である。

本の装丁も手に馴染む、洒落たデザインである。後書きで作者が「この歌集が、光の下であなたに何度も読まれて、日焼けして、表紙も折れて、背表紙も割れて、砂のようにぼろぼろになって、いつの日か無になることを願う。」と書いているが、作者が望む通り、いつかは砂に還ってゆきそうな儚さを感じる。

今年出版された歌集『千夜曳獏』も味わい深かったが、『砂丘律』の方が「私が知らない世界を見せてくれる」歌集だと思う。