リスボンに憧れながら世界の片隅で砂を掴む

本、ポルトガル語学習、海外移住よもやま話。(※在住国はポルトガルではありません。)

スナフキンのように生きる事の孤独

DINKsとして生きる事にした

この件については書くか書かないか随分逡巡したのだが、自分自身の根幹を形作る要素の一つであるので、書いておく。

私は配偶者と二人暮らしのDINKsである。

日本で生活していた時には、まさか自分たち夫婦がこのような選択をするとは思わなかった。

移住した先のこの地で、私と配偶者は、この世の中に、人々に失望したのだ。

この腐敗した世の中に、新しい命を連れてくるなど、言語同断。

我々はこんな世の中に命を繋ぐ為に生まれてきたのではない。

鬼束ちひろの『月光』は名曲だ。)

 

ただ、この生き方でも何の葛藤も孤独も感じず自由に振る舞えるのは、一部先進国だけではないかと思う。統計を見て言うわけではないが、子供を持たない選択をした夫婦は日本でも少数派だと思われるし、保守的な思想を持つ人々が多くを占めるこの国では尚更である。

ふと気づけば、我々は完全なるマイノリティになっていた。

 

スナフキンの方がまだ出現頻度が高い

さて、標題について。

新型コロナ以前から、滅多に帰省が出来ない状況であった(経済的理由による)。移住前には「一年に二度ぐらいは帰省できるだろう。」と思っていたが、完全に見通しが甘かった。実際には、一年に一度帰省出来ればマシな方である。つまり、日本の故郷に出現可能な頻度は、ムーニン谷へのスナフキンの出現頻度を下回っている。(正確にどの程度スナフキンムーミン谷に足を運んだかは数えていないが、子供の頃見たアニメーションでは、旅人のはずのスナフキンが常にムーミン谷にいたような気がする。)

そうすると当然、我々夫婦の日本との繋がりはどんどん薄くなってゆく。日本の友人知人の記憶の中から、我々は消えてしまう。

まして、属性:DINKsである。「少子化とは一体何なのか?」と疑うぐらい、周りにいた友人たちは結婚して子供をどんどん産み、距離が大きくなってゆく。昔親しかった友人たちとも、連絡が取れなくなった。それは現在在住している場所でも、日本でも同じである。

 

このように少しずつかつての人間関係が薄れてゆき、「友人とは一体何なのか。」「先進国に移住すれば、このような思いはしなかったのではないか。」「移住した事自体が間違いだったのでは。」と散々思い悩み、苦悩と後悔と疎外感を乗り越えるには相当の時間とエネルギーを要した。

(子供を持たなかった事自体が誤りだとは思わない。こんな国(※日本の事ではない)で子供を出産する方が、子供にとって残虐である。家庭が破綻する危険性も高い。)

 

釈迢空の歌に触れて考えた

今でも時々昏い想いに精神を締め上げられることがあるが、そんな折、読んでいた詩集の中で釈迢空の歌を目にし、脳髄に堆積したヘドロが浄化されたような気持ちになった。

 

なき人の

今日は、七日になりぬらむ。

遇う人も

あふ人も、

みな 旅びと

(『春のことぶれ』)

 

釈迢空折口信夫)が旅先にて、友人の訃報を知った時に詠んだ歌、とのことである。

釈迢空自身は「旅びと」について、文字通りの意味で詠んだのかもしれない。(日本文学については無学の為、正確な解釈はわからない。)

 

しかし、私は、

 

「人生は旅である。人々はこの世に生を受けてからずっと、終着点である《死》に向かって歩いている。その途中で誰も彼も出会う人は、すれ違う旅人に同じ。一夜を共にし楽しく酒を酌み交わそうとも、明朝には別れ、それぞれが目指す《死》に向かってまた旅立つのだ。」

 

と、勝手に解釈した。

いや、解釈というよりも、単にそう思っただけである。

 

スナフキンのように生きることは確かに孤独を伴う。

だが、文学や音楽という友がその心を慰めてくれるし、その揺るぎない永遠の友と語り続ける時間はたっぷりある。(そして、面白おかしい事を言って毎日笑わせてくれる配偶者もいる。)

 

それに、考えてみれば、誰もが旅人のようにこの世を生きている。

旅人には、常に別れの運命が待っている。それが後に来るか先に来るか、それだけの話なのだ。何も、思い悩むような事ではない。

 

(※尚、労働者としても不平等かつ不快な目に遭うのがほぼ確実なDINKsであるが、それについては別の機会があれば書いてみたい。)