リスボンに憧れながら世界の片隅で砂を掴む

本、ポルトガル語学習、海外移住よもやま話。(※在住国はポルトガルではありません。)

猫好き必読の書『猫と庄造と二人のおんな』。猫は死なない(重要)。

掲題の通り、猫は死なない。無事である。一番重要な事なので、一番先に宣言しておく。*1

 

さて、谷崎潤一郎と言えば、『春琴抄』や『痴人の愛』等のタイトルが高校現代文の教科書(もしくは資料集)に掲載されていたと思う。しかし肝心の作品の抜粋が教科書に掲載されていたわけでもなく、彼の著作を手に取った事もない私は「成る程、谷崎は耽美でエロスなのか。」程度の認識しかなく、大して興味もなかった。

勿論、『猫と庄造と二人のおんな』のような、猫への愛溢れる小説を書いていたことは知らなかった。それにしても、いつ、どうしてこの本を買ったのか、とんと記憶に無い。hontoのブックツリーか何かで見かけたのだろうか。数年間積まれっぱなしの電子書籍の中に埋まっていた一冊である。

 

猫と庄造と二人のおんな、あらすじ

リリーという飼い猫を溺愛する、庄造という男がいる。その妻・福子の元へ、庄造の前妻・品子から、「リリーをこちらへ引き渡すよう」書かれた手紙が届くところから、物語は始まる。

前妻・品子が特別リリーを愛していたわけではない。福子への手紙を書いたのも、庄造(とその家庭)を取り戻す、復縁策の一つであった。庄造の母おりん、福子、及び福子の父との結託により、追い出されるようにして庄造と離縁した品子は、失ってしまった居場所への未練を断ち切る事が出来ずにいたのだ(そりゃそうだ、酷い話である)。

一方、卑怯で小狡く意気地が無い・やる気も稼ぎも何もない・ほとんど良い所無しのダメ男である庄造は、品子からの手紙をキッカケにリリーへの嫉妬を爆発させた妻・福子に強く迫られ、最終的にリリーを品子へ引き渡す事に同意してしまう。

そうして、リリーは約束通り品子の侘しい住まいに連れてこられる。品子は庄造の家を出た後、妹夫妻の家の二階に間借りし、針仕事で生計を立てていた。リリーは当初品子には懐かず、隙を見て脱走してしまう。品子もリリーをどう扱ったら良いものかわからなかったのだ。しかし数日後、リリーは品子のところへ戻ってきて、一人と一匹の間に、新たな愛情と信頼が生まれるのである。

どうしようもない人間

登場人物全員が「身近にいて欲しくない」キャラクターである。少なくとも私は家族の中に彼らのような人間が居て欲しいとは思わないし、万が一そんな人間が居たら可能な限り距離を置くであろう。

彼ら・彼女らが軽妙な関西弁*2で会話をするので、まるで喜劇を見ているような気持ちになる。が、品子以外の人間は心根が腐っていると言えるレベルである。品子もスッキリとした好感の持てる性質ではない。誰も彼もが自己中心的で自分が一番大事、他の人間に対する純粋で深い愛情などは感じる事が出来ない。

そんな歪な登場人物同士の関係の中、唯一、純粋で温かく描かれているのが、人と猫(リリー)との間で交わされる愛である。それは著者自身が猫を深く愛していたからこそ描けるものではないだろうか。私は読後インターネットで調べるまで谷崎氏が猫好きであった事を知らなかったが、間違いなく猫を飼った経験がある人が書いた内容であるので、猫好きとしては逐一頷きながら読んでしまう。

尚、下記作家ブログにて、谷崎氏の猫についての考察が書かれていた。

谷崎潤一郎の愛した美猫(1): 藍色手帖BLOG

(ブログを書かれているのは坂本葵さんという作家であるが、 調べたところ『食魔 谷崎潤一郎』(新潮新書)という本を出版されている。電子書籍でも購入可能なので、余裕ができたら購入してみたい。)

 

リリーは何故品子の元に戻ったのか

老衰で感覚が鈍くなり蘆屋(庄造の家)に戻れなくなったのではないか、と品子は考察しているが、リリーが庄造の元へ戻らなかったのは、リリー自身の選択の結果ではないかと思う。

谷崎氏はリリーを単なる獣ではなく、知性ある獣として描いている。知性ある獣・リリーは、庄造の家に自分の居場所が無い事、庄造が一番大事なのはリリーではなく庄造自身であり、最終的に自分を守ってくれなかった事を理解していたのではないだろうか。そして、同じく家を追われた品子の中に、小さな愛情の種子を嗅ぎ取ったのではないだろうか。「この人なら、私を裏切らないだろう。」と。

全て私の憶測だが、恐らく、リリーは庄造を見限ったのだと思う。

 

小鯵の二倍酢

物語の本筋とは関係が無いが、個人的に気になったので書いておく。

物語前半で、庄造が「小鯵の二倍酢」を肴に晩酌する(結局その殆どをリリーに食べさせてしまう)シーンがあるのだが、その料理が気になる。私の故郷では小鯵は売っておらず(大きい鯵の開きなどは売っていた)、魚を二倍酢に漬けた物は食べた事がない。他の作家の小説か短歌か何かで同じような魚の酢漬けを見かけた気がするが、誰の何の作品だったか失念してしまった。関西方面の食べ方なのであろうか、いつか小魚を手に入れる機会があったら試してみたいものである。(嗚呼、日本の魚の味が恋しい。)

 

 

尚この作品、森繁久弥氏主演で映画化されていたようである。是非観てみたかったが、1956年公開の作品なので、今となっては難しいのではないだろうか。

*1:但し、その時代の猫の扱いは現代日本とは異なるので、現代の猫好きが読むと胸が痛む表現は出てくる。だが、それが谷崎の生きた時代の、一般的な猫に対する扱いだったのだろう。

*2:恐らく神戸周辺のものであるが、谷崎潤一郎母語は関西方言ではないので、その地方の人が読んだ場合多少の違和感があるかもしれない。