リスボンに憧れながら世界の片隅で砂を掴む

本、ポルトガル語学習、海外移住よもやま話。(※在住国はポルトガルではありません。)

「いかがでしたか」なんて、本当は怖くて聞けない。そうだろう?

「書く」事。それは、私にとって呼吸するに等しい事である。

物心ついた頃から、いつも何かを書いていた。(精神的に追い詰められて自分を見失い何も書けなかった時期もあるが、その頃の事は思い出すだけで吐き気がする。)

勿論、書く事が好きな多くの人々同様、作家になる事に憧れていた時期もあるし、小説や詩をウェブで公開していた事もある。本もよく読む。だから、「物書きを本職としている人は全員、素晴らしい文章を書く人に違いない。」と、本気で思っていた。

 

ところが最近、「書く事で生活費を稼いでいるから」といって優れた文章を書ける人だとは限らない事に気がついた。

 

インターネットに溢れるニュースの文章、まとめサイトの文章、東京カレンダーなる媒体が垂れ流している連載小説らしきものが、酷い。

目を覆いたくなるレベルである。

読んでいるこちらも頭痛がしてくるが、書いている側は何とも思わないのだろうか?

良心が咎めて、心が苦しくならないのだろうか?

公共の場所に垂れ流しておいて平気なのだろうか?

それが、そのライターや記者の全力なのだろうか?

(そんなもの見なければいいのだが、グーグルで何やかんや検索すると引っかかってしまうのである。)

 

私が「物書き」を神聖視し過ぎているのだろうか。全員が全員「詩人になるのでなければ何にもなりたくない。」と言っていたヘッセのような人でないことはわかっているし、食べていく為に不本意な仕事を請け負う事があるのも知っている。

そんな風に日々燻る思いを抱えていたところ、下記ブログを発見するに至った。

 

an-fans.hatenablog.com

 

あの「いかがでしたか?」を文末に挿入した検索汚染ブログを実際に書いていた人が、実情を明かしていた。

やはり、書く事に対して思い入れがある人ほど、辛い気持ちになるようだ。

一年以上前で更新が止まっているが、このブログの主は無事なのだろうか、見知らぬ人ながら心配になる。

何か一言感想を書きたかったが、言葉にならない。

 

書いているうちに気持ちがいっぱいになってしまったので、今日はここまでとする。