リスボンに憧れながら世界の片隅で砂を掴む

本、ポルトガル語学習、海外移住よもやま話。(※在住国はポルトガルではありません。)

『プラテーロとわたし』。アンダルシアの美(ベリエーサ)

突然、世界中の港が次々と閉ざされ、「何処かへ旅する自由」が無くなってしまった。そんな時代、人間の心を慰めるのは、外国の美しい文学である。

 

ヘルマン・ヘッセが書き残したドイツの自然も素晴らしいが、スペイン・アンダルシアの詩人、フアン・ラモン・ヒメネスが「描いた」故郷の風景の美しさは、また違った趣がある。まさに、"la belleza"(美)であった。

……とてつもない詩人がいたものだ、と思う。

 

フアン・ラモン・ヒメネスは文学の道へ進む前に絵画を学んでいたらしく、その類稀な色彩感覚、色の捉え方は詩人というよりも画家のものに近いのかもしれない。絵具ではなく、言葉によって鮮やかに描かれたアンダルシアの色彩。

 

すでに靄がかかり、濃紫に夜のとばりがおりた。教会の塔のかなたは、紅紫と緑のほんのりとした明るさ。

『プラテーロとわたし』(長南実訳、岩波文庫

 

夜の空を表すのに、濃紫、紅紫、緑の三色が使われている。他の地域の詩人では、この色遣いは難しいのではないだろうか。「夜空」のグラデーションの中に、緑色が捉えられるだろうか。

 

さて、上記でも引用した『プラテーロとわたし』であるが、フアン・ラモン・ヒメネスが父の死によって心を病み、滞在していたマドリードを去り、故郷の町・モゲールにて静養していた中で書き連ねた作品である(一部はその後モゲールを出てから書かれた)。

日本語版は、岩波文庫から長南実氏の翻訳版が出版されている。注釈が丁寧に付けられていてわかりやすい。可能であれば、紙の本で読んだ方が良いと思う。

 

プラテーロは、フアン・ラモン・ヒメネスがモゲールで共に過ごしたロバの名前であるが、とても大事にされていたようである。死後は詩人とプラテーロの約束通り「松かさ農園」の墓に埋葬され、美しく優しい散文の中で弔われている。詩人の愛に包まれて、銀色のプラテーロは「永遠」になったのだ。

(当時、役に立たなくなった家畜は「家畜捨て場」という場所へ捨てられていた事が、作品中に書かれている。)

ロバは愚鈍、ウスノロ等の意味が英語などの一部言語に定着してしまっており、イメージがあまり良くないのだが、詩人はロバに対するそういった概念や扱いを嫌っており、プラテーロを大切な美しい友達のように思っていた。

 

きみのその目はね、プラテーロ、おだやかに空を見あげるその目はね、きみには見えないけれど、美しい二つの薔薇なのだよ。

『プラテーロとわたし』(長南実訳、岩波文庫

 

読めばため息が出る。何という美しい言葉なのだろう。

プラテーロへの慈愛に満ちた視線、モゲールの町の暮らし、人々の喜びや悲しみ、生と死と永遠……138篇の散文は、読者の心を美の世界へと連れ出す。

 

尚、この作品、宗教色がとても強い。西洋の文学作品はキリスト教とは切っても切り離せない関係だが、地方柄特にカトリックの影響が大きい為、どうしてもそういったものが受け入れられない人には勧められない。(宗教は、人の営みの一部なのだが……。)

 

いつの日かまた外国を旅する自由が戻ってきたら、アンダルシア地方を訪れてみたい。詩人が描いた鮮やかな色を、芳しい香りを、五感で味わう事が出来たのなら、何と幸せな事だろう。

この詩を、生きている間に読めた事、大変有り難く思う。