『カモメに飛ぶことを教えた猫』。ルイス・セプルベダ氏よ、永遠に。
この記事を書いている途中で、久々にWikipediaでルイス・セプルベダ氏を検索したところ、「新型コロナウイルス感染により、4月16日死去」との記載があり、呆然としている。
志村けん死去以来の衝撃を受けている。何故、世界はこんなことになってしまったのだろう。
セプルベダ氏よ、どうか、安らかに……。
きっとあなたの魂は、言の葉で出来た美しい翼と輝く風に包まれて、天高く舞い上がり、遥か遠い世界へと旅立ったのだろう。
そして彼らの小さな心は
ーー曲芸師と同じ、その心はーー
何より恋焦がれていた
このありふれた雨に
いつでも風を連れてくる雨に
いつでも太陽を連れてくる雨に
ベルナルド・アチャガ『カモメ』(『カモメに飛ぶことを教えた猫』より)
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俳優の伊勢谷友介氏が大麻取締法違反で逮捕されたニュースについて、Yahooニュースのコメント欄をウッカリ見てしまった。Yahooニュースのコメント欄は、某ちゃんねる掲示板やTwitterを遥かに超越した狂気とルサンチマンの肥溜めなので即刻閉鎖すべきと思っているが、それについてはまたいつか書くとして、「アカの他人を一般市民が寄ってたかって断罪する」ということは、法治国家に暮らす先進国の人間としてどうなんだろう、と考え込んでしまう。
私は大麻推進派でもなければ伊勢谷氏のファンでもない。出演作も知らないし、昨日逮捕されるまで伊勢谷の読み方はずっと「いせたに」だと思っていた。伊勢谷氏はそれぐらいどうでもいい存在である。その上で思うのだが、大勢の無関係な人間が、他人を寄ってたかってサンドバッグにする行為は「誉高い善良な行為」とは言えないだろうし、そこから感じられる底無しの怨念にはゾッとさせられるものがある。
元々この一ヶ月体調に波があり、自粛や経済不安による閉塞感でメンタルの状態があまり良くなかったのだが、Yahooニュースのコメント欄なんぞ見てしまったせいでさらに気持ちが悪くなった。通勤再開で心身ともに疲れもだいぶ溜まっており、心の栄養補給をしなければ……と再読したのが、『カモメに飛ぶことを教えた猫』(ルイス・セプルベダ著、河野万里子訳、白水社)。
優しさと善意と誇りが、種族の違う一つの命を、その巣立ちまで守り育てた話である。
訳者・河野氏のあとがきによると、この本はチリ出身のセプルベダ氏が自分の子供達のために書いた本だが、欧州では<八歳から八十八歳までの若者のための小説>と謳われ、愛されているとの事である。確かに小学生でも読める文体ではあるが、大人が読んでも面白いし、むしろ大人になってから読まないと気が付かない寓意もあると思う。動物が主人公の冒険的寓話ということで、『冒険者たち』シリーズをふと思い出して懐かしい気持ちになったが、著者の根底にある思想が全く異なるので、同じ「子供に語りかける作品」でも違った味わいがある。
思想と言えば、著者はかつてグリーンピースにも参加しており、自然保護や動物愛護に関しては妥協の無い強い意志があるものと推測される。読者によっては「潔癖すぎる。」と感じるかもしれないが……問題提起として、本作は上手く書かれていると思う。
たとえばあのイルカの、哀れな運命はどうだろう。人間に対しても、知的であるところを見せてしまったばかりに、水族館で道化のようなショーをやらされている。
『カモメに飛ぶことを教えた猫』あらすじ
さて、ここまでダラダラ書いてようやくであるが、あらすじについて。
舞台はドイツの港町・ハンブルク。原油塗れで瀕死のカモメ・ケンガーが、太っちょ黒猫ゾルバが日光浴するバルコニーに落ちてくる。カモメはこれから最後の力で産卵することを宣言し、彼女を哀れんだゾルバと三つの約束を交わす。「今から産まれる卵を食べないこと。ひなが生まれるまで卵の面倒を見ること。ひなに飛ぶことを教えること。」
猫がカモメに飛び方を教える……無理難題と卵ひとつを抱え込んだ雄猫ゾルバは、港の猫たち、そして一人の人間の詩人を巻き込み、小さなひな「フォルトゥナータ(幸運な者)」を育て、大空の旅路へと導く。
愛らしい日本語訳
この作品は訳者にも恵まれている。特にひなの描写がとても愛らしく翻訳されているのである。
ゾルバがひなに何を食べさせるべきか見当もつかず、台所からリンゴを持ってきた場面では
ひなは、おぼつかない足取りながらもなんとか立ち上がると、一生懸命りんごのところまで来た。そうして小さな黄色いくちばしでつついてみたが、りんごはまるでゴムでできているようにびくともしないうえに、つつかれた反動でごろりと戻ってきた。ひなは、後ろへはじき飛ばされた。
ひなが野良猫に襲われる場面では、もこもこの雄猫ゾルバに向かってひなが
「ママ、たすけて!」
野良猫を成敗した場面では、
「ママ、とってもつよい!」ひなはピヨピヨと大喜びだ。
勿論原文も愛らしいのかもしれないが、訳者が敢えてひなの台詞や描写を平仮名で表記することで、ひなの幼さや柔らかさが上手く表現出来ている。児童でも読めるように平易な表現を選んだのかもしれないが、いずれにせよ、素敵な訳文である。
選ばれし人間、「詩人」
『カモメに飛ぶことを教えた猫』では言葉の一つ一つ、全ての描写が、著者・訳者によって大切に取り扱われており、細かい点まで語り始めると終わらなくなる。例えば、「向かい風」という猫の名前や、秘宝館のようなバザール、著者がそっと滑り込ませた数々の寓意に冒険……そんな中で、私が一番気に入った要素である「詩人」について述べ、今回は終わりにしようと思う。
本作に登場する「人間」のうち、一番重要な人物は「詩人」である。名前については言及されていない。ブブリーナという美しい猫の飼い主でもある。
ひなからカモメへと成長したフォルトゥナータが十七回の飛行チャレンジに失敗した後、彼女の飛行の手助けは猫達だけでは力不足である故、人間の力を借りようとゾルバが仲間達に提案し、白羽の矢が立ったのがこの「詩人」である。
「もしかしたら、本物のつばさで飛ぶことについては、知らないかもしれない。でもあの人は、ことばとともに飛んでいるような気がしてしかたないんだ」
ここでわざわざ「詩人」を選んだセプルベダ氏のセンスには脱帽である。飛べないカモメ・フォルトゥナータに必要なのは、航空力学や実際の飛行術を知っている人間ではなかったのだ。「飛ぶ技術」は、カモメとして生まれた彼女の本能の中で眠っているだけだった。それを目覚めさせる「言葉」を持つ人間、それが「詩人」だったのだ。
「詩人」はゾルバへ「詩」を託し、ゾルバはその力でフォルトゥナータの背を押した。
言葉の力を信じる者、作家でありジャーナリストでもあったセプルベダ氏だからこそ書けた、世にも美しい現代寓話であった。
それに、これがもし夢だったとしても、それが何だというのだ?
こんなに愉快な夢なら、いつまでも見ていたい