リスボンに憧れながら世界の片隅で砂を掴む

本、ポルトガル語学習、海外移住よもやま話。(※在住国はポルトガルではありません。)

アンドロイドは電気羊の夢を「何語で」見るのか?

毎日詩文とポルトガル語を頭に詰め込み過ぎたせいか仕事のせいかわからないが、フロッピーディスクレベルの低スペック記憶媒体である私の脳が過労気味なので、ガッチリ構成した話はしばらく書けそうにない。故に、今日は語学学習のちょっとした体験談を書こうと思う。

 

語学学習を続けていく中、ある種のマイルストーンになるものが……「夢」

叶ったり破れたりする方の夢ではなく、夜眠っていて見る方の夢である。

 

語学学習と一言で言っても、大きく分けて「読む」「聞く」「書く」「話す」の四分野があるのだが、この全てをバランス良く一年ぐらい続け、ちょっとした会話が出来るレベルになってくると、学習している言語で話している夢を見ることがある。勿論会話のレベルは自分が習得している言語のレベルを超える事はないのだが。

どうしてそんな現象が起きるのか。「脳内において、外国語で思考する回路が出来上がっているから」だと思う。専門外なので勝手な推測であるが、夢の中でも学習言語で話せるのであればある程度のレベルに達していると考えられるので、喜んで良い現象である。

 

私の場合、実は大学の専攻が外国語関連だったのだが、その頃は一度も外国語で話す夢を見たことがなかった。外国語で行われる授業にも出席していたが、学習内容が「読む」に大きく偏っていた為、外国語で思考する回路は出来上がっていなかった。

では私が初めて外国語で話す夢を見たのはいつなのかというと、「英語」については海外移住後、英会話の講座に通い始めてからだった。一方、「居住地のローカル言語」は学習開始が遅かった為か、その言語で話す夢の発生はこの一年の間であったと記憶している。こちらの言語はあまり得意ではないせいか、毎日の使用頻度が英語よりも少し少ない程度にも関わらず、夢に登場したのは今まで一、二回のみである。しかも、「マジかよ!ありえないんですけど!」というような一言を発しただけだったと思う。

また、先日、フィリピン人海賊からポルトガル語を話すよう要求され、「出来ません。」と否定するという悲しい夢を見た。

夢の中でも、出来ないものは出来ないのである。

 

ここまで書いてふと思ったのだが、「江戸川コナンが殺人トリックを説明している最中の毛利小五郎」並みにぐっすり爆睡するタイプの人は、そもそも夢をあまり見ない(記憶に残らない)ので、この話から除外されてしまうのではないか。「語学学習のマイルストーン」と断言するには根拠が弱いかもしれない。

私自身は眠りが浅く夢を見やすい体質であり、この数ヶ月では、日本で焼いたホタテを食べる夢や、日本でキノコバーベキューをする夢、九州を旅行する夢などを見た。正直、外国語でも何語でもいいから、日本で美味しい寿司を食べる夢を見たいと、心の底から強く願っている。毎晩寝る前に寿司の写真を凝視していれば、夢に出てくるだろうか。

寿司、すし、SUSHI。憧れの、お寿司。

 

 

I sleep when I dream what does not exist;

I will wake when I dream what does exist.

 

THE BOOK OF DISQUIET (Fernando Pessoa, Jerónimo Pizarro)